三馬鹿

三馬鹿日記

三馬鹿 ほりいち

 

ほりいち

いち、と鋭い眼光が突き刺さる。普段のおちゃらけた雰囲気はどこへやら。ぐっと両腕で押し退けるがびくともしない。腕っ節で勝てない相手だということはわかっている。抵抗は諦めた。いつもの溜まり場、埃だらけだったソファに布だけ被せてある、綺麗だとは言い難いそこに押し倒されて、友達のはずの堀の手が俺の両腕を軽々しく固定する。なんというか、とても不本意なのだが。……俺は今、友達の堀に組み敷かれているらしい。
こんな事になった理由?そんなのわかるわけない。俺は携帯を弄っていただけだ。じっと見つめてくる堀の視線に気づかなかったわけではない。だがいつもの良くわからない好奇心か何かだろうと気に留めないようにしていた。確かにいつも何かにつけて喋りだしては止まらない堀に違和感を覚えはしたがそういうこともあるだろう。
三人掛けのソファに二人座って寛いでいただけ。最初に口を開いたのは堀。なぁ、と上ずった声が妙に頭に響いた。今は七月も半ば、唯でさえリモコンの効きが悪く暑いというのに、堀は俺に寄り始めた。携帯から目を逸らさずになに、とだけ答える。そういえば今日は澪が来るのが遅いな。放課後だし先生に呼び出しでもされたのかと考える。
その時だった、堀の手が俺の肩をぐいっと押し付けた。低反発のソファに沈む。持っていた携帯が床に転げ落ちた。何、すんだよ、と出てきた声はあまりにも力が入っていなかった。堀は笑っていない。頭が混乱する。
「ふ、ざけんな」
絞りだした声は震えていたかもしれない。今まで女を組み敷いてきた俺がまさか男に、しかもダチにやられるなんて思いもしないだろう。冗談でやっているわけじゃないのはこの空気が物語っていて。だがこのままやられるほど俺のプライドは捨てられちゃいない。けれど堀の加える力はどんどん強くなる。クソ、馬鹿力が。浅く息を漏らす。
空調の効いていない部屋は地獄だった。蝉の声が遠くなるような感覚に陥る。
堀は片腕で俺の両腕を持ち、もう片方の手を俺の頬に添えた。そしてどんどん顔が近づき、気づいたら口と口が触れ合っていた。びくりと体が反応する。俺は緩まった堀の手を逃さず、勢いのまま突き飛ばした。顎に伝う汗を拭い、荒い息を整える。おちつけ、落ち着け。
埃の匂い、と、嗅ぎ慣れた煙草の匂い、そして纏う堀の香水が。いやに鼻腔をくすぐる。
冷静さが取り戻せない。俺らしくもない。チクショウ、何なんだ一体。
その時、床に手をついた堀は俺の方へ視線をやり静かに口を開いた。
「無防備すぎんだよ、」
これまた反応しづらい言葉を言う。堀の、いつもの笑顔が思い出せない、これは本当にあの堀奏多なのか。乱れた髪と制服を直す余裕もない。微妙な距離感を保ちつつ、どういうことだよ、と口に出す。どういうことか、なんて。もう、なにがなんだか。
暑さでどうにかなりそうだ。室温高すぎだろ。エアコン直せよ。つーか何で今日に限って澪がいねえんだよ、クソが。…いやいねえからこうなってんだよ落ち着け俺。目前の様子を伺っていると、堀は俯き拳を震わせている。殴られんの?マジかよ。そう思って身構えていると、その拳は緩く開かれた。そして何かを諦めたような表情で、口を開いた。
「…暑さで馬鹿んなった、悪りぃ。忘れて」
おい、お前のそんな顔、見たことねえぞ俺。それだけ言って堀はこの溜まり場から出て行った。俺はもうどうすることもできず、力なくソファに凭れ掛かった。
「堀のあんな顔、初めて見た」
と、静かに独り言ちる。とりあえず落ち着かせるため机に置いてあった煙草を手に取り火を点けるが、上手く火すら点けられやしねえ、震える手を握り締める。ビビってんのか、俺。
その時溜まり場のドアが開いた。このタイミングで澪かよ遅すぎんだろお前。
「いちくんじゃん。何その怖い顔、何かあったん?」
と、まぁ何も知らない顔で言うものだからイライラが増す。その手に握られているのはコンビニのビニール袋。来るのが遅かったわけだ。外あちーとぶつくさ言いながら俺の隣に座る。はい、と手渡されたのは袋に入ったアイス。苛立ちを抑えて封を開く。この暑さにこのアイスは至福だ。
「そーいえばさっき堀君走ってんの見かけたわ」
「…しらね」
カップアイスをスプーンで掬いながらそう言う澪に咄嗟に嘘をついていた。澪はふーんと言うだけ。その意図は、読めない。
「うわ…堀君にもアイス買ってやったのに渡し損ねた…最悪…」
「食っちまえば」
「そーしよ、堀君もう帰ってこなさそうだし」
そう言って二個目のアイスを食べ始める澪。食べ終わったアイスの棒をゴミ箱に投げ入れる。ジジ、と死にそうな蝉の音が聞こえた。
「…そういえば堀君の顔真っ赤だったんだよな」
独りごとなのか俺への返答を待っているのか。唐突にそう言う澪の顔が読めない。割と人の顔色読むのは得意な方なんだけどな。まぁなんとなく察する。
俺は無言で煙草を手に取る。すると差し出されるライター。思わず澪の方に視線をやる。いつもの笑顔だ。
「さっき手、震えてたじゃん」
ね、とライターを点火する澪。やっぱこいつ見てたんじゃねぇか。まぁ有難く火は貰うけど。軽く吸い込み煙を吐き出す。勘付いてはいたが、覗きとは良い趣味してんじゃねえか。
「そういうとこあるよな~お前」
そう冷静にかえす。俺にカマをかけるとは。
夕日が差し込む溜まり場。西日がいい加減眩しい。吐き出された紫煙は窓の外へ揺らいでいった。
忘れて、か。無茶言うよなあいつ。二本目の煙草を取り出す。真っ赤だったって?堀の赤面も拝みたかったな、なんて思ってみる。
つーかこれからどうすんだよ会うの気まずすぎんだろ、そこら辺のアフターケア考えてんのか?いや行き当たりばったりの突発的行動なんだろうなあ、あいつ馬鹿だし…
隣で頭を抱えてる俺の肩を澪がポンとたたいた。もしかして何かいい案が…?
「検討を祈る」
そう言っていい笑顔でグーサインをしてくるので取り敢えず殴りたくなった。お前はそういう奴だよなぁ頼れる奴誰もいねえのかよ。俯いて絶望としていると、あ、でもいちくんさ、と澪も煙草に火を点ける。
「何だよ、」
「キスは嫌じゃなかった、とか?」
ふぅ、と吐き出す煙が俺の紫煙と混じる。いやマジで…確信犯だろ、こいつ。
もう何度目かのよくわからない溜息と共に煙を吐き出す。ほんっとに面倒臭いことになっちまったなもう…面倒なことは嫌いなんだよ。
「さぁな」
嫌じゃなかった自分がいるのが大問題なんだよな…ま、誰にも言わねえけど。